貴方を探して私は彷徨う  〜 第一部 後編 翠月華様 side


        




 四角く切り取られた画面の中で笑う彼は、とても寂しそうだった。芸能界という場所に生きる者達が被る仮面でさえ隠しきれない影があった。

  勘兵衛には、彼の心が泣いているように見えた。静かに、静かに…。

 しとしとと冷たい冬の雨が降る。あっという間に夕闇が辺りを支配していくなか勘兵衛は、一人静かに仏間で瞑想していた。 河西七郎次、という名を勘兵衛が知ったのはつい先日のこと。テレビの画面越しに見た、金髪碧眼の美少年は、かつて自分が成層圏で出逢った時と同じ、そのままの姿をしていた。

  間違いない、彼だと確信する。

 そして同時に、七郎次が自分と真逆の日の当たる道を歩んでいることに深く安堵した。



     ***



 流石に東北地方は寒いなと七郎次はコートの襟を立てた。東京駅から新幹線で二時間近く、それからタクシーに一時間近く乗った場所に彼の“実家”はある。どこか冷たい外観なのは公的な施設だからだろうか。国道沿いから少し奥まった場所に位置するそこは自然が豊かで七郎次は好きだった。

「あっ、七郎次兄ちゃんだぁっ!」

 広い庭でそれぞれの遊びを展開していた幼子の一人が、ちょうど門を潜る七郎次の姿を見留め、歓声を上げた。わらわらと駆け寄ってくる子供達に七郎次は笑顔でただいまを言いながら頭を撫でていく。

「おかえりなさい。七郎次」

 子供達にもみくちゃにされる彼に、少し苦笑を含んだしかし柔らかな声がかけられると、彼の視線は子供達を挟んでその先に佇む初老の婦人に向けられる。

「ただいま帰りました。園長先生」

 園長先生と呼ばれた彼女は、久方ぶりに家に帰った我が子の手を静かに握り締めた。

「やはり、こちらは寒いですね」
「やっぱり東京は暖かいかしら?」

 ストーブの上でしゅんしゅんとヤカンが微かな音を立てている。はい、と手渡されたマグカップには園長先生特製のミルクティー。少し甘めのこれが、七郎次は好きだった。三年前、突然東京の高校を受験すると言った夜も、今と彼女は同じようにミルクティーを自分に手渡し、話を聞いてくれた。

「立派になったわね。子供達なんか、貴方がテレビに映る度に大騒ぎで」

 その光景を思い出したのか、ふふ、と笑った先生につられ、七郎次もその白い面に笑みをのせる。

「冬休みになったら、また忙しくなってしまうので、少し早めに帰省させてもらったんです」

 年末は帰省ラッシュで混みますし、と言ってから七郎次はミルクティーを一口含んだ。

「…それで…探し人は見つかったの?…」
「…いえ、まだ…」

 成長するにつれて徐々に甦り始めた記憶。成層圏の風で翻る白い外套、そして鋼色の髪。負け戦の将と呼ばれながらも人望の厚かった主。

「でも、いつかきっと見つけられると思います」

 応援しているわ、と先生は微笑んでから、

「貴方がそんなに焦がれる方なら、一度会ってみたいわね」

連れて来て頂戴ねと指切りをした。




     ***



 東京駅と繰り返されるアナウンスを聞くのはもう何度目だろう。荷物棚から荷物を降ろして、七郎次は眼鏡を外した。駅に降り立った瞬間、自分は芸能界に生きる者になる。ホームは相変わらず寒い中に独特の濁りを持つ空気で満たされていた。ある程度覚悟はしていたけれど、あっという間にファンの女性達に取り囲まれる。次々と握手を求められるのに笑顔で応えながら、やはりマネージャーに迎えに来てもらえば良かったと後悔した。そんな時、視界の端を鋼色が掠めた。はっとして頭を巡らせれば、白の外套を着て、その背に鋼色の髪を無造作に散らした男。

  それはかつて戦場で憧れ恋焦がれた上官の姿に酷似していて…。


 「すいません!! ちょっと退いて下さいっ。退いて下さい!!」


  確かめなければ。

 ずっとずっと、探し続けていたあの人。芸能界に入ったのだって、テレビの画面越しにもしかしたら彼が自分を見つけてくれるかも知れないから。 夕方のラッシュの時間帯で人がごった返す中を七郎次は懸命に人を掻き分けて、その背中を追った。やっと、この手が届く。


  しかし、神はどこまでも無慈悲な裁断を下した。


  「――っ勘兵衛様!!」


 数えきれない位見詰めたその背中は、少しずつ自分との距離を広げていく。勘兵衛様、島田様ともう一度叫んだ時に一瞬、規則的な男の歩みが乱れた気がした。しかし次の瞬間、男の姿は人の波に紛れ、七郎次の視界からふつりと消える。


  七郎次の目に、その背中の残像だけを残して。







 誰かに、名前を呼ばれた気がした。

「会長、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない」

 隣を歩く頼母は怪訝な顔をしたが、心得たように深くは聞いてこなかった。勘兵衛は駅から出てすぐの場所に停まっていた迎えの車に乗り込む。車の後部座席のドアを開けてくれた関矢は、白い手袋をしていた。すっかり運転手業が板に付いてしまったらしい。シートに身を預けて、眉間をほぐすように指先で揉んだ。今日は久しぶりの遠出で少し疲れたらしい。

 「七郎次…」

 先程、自分の名を呼んだ声は、かつての右腕のそれによく似ていた。





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